新型コロナウィルスで変化する仕事にどう対応していくのか
新型コロナウィルス対策として、各自の予防が叫ばれて久しい昨今。
夏休みは遠出を避け、できるだけ自宅待機していた人も多かったことでしょう。
仕事では、これまで通勤がメインだった会社も、テレワーク、在宅ワークを取り入れて、実質的な業務のみを進める傾向が高くなってきました。
コロナウィルスが以前拡大していることを見ると、何か月、何年もの間、胃やこれからずっと、この状況はもしかしたら変わらないのかも、と思います。
そう考えると気が滅入ってしまいますが、時代が変わるときというのは、こうした時なのかもしれない、と思ったりもします。
こうした停滞した状態で、ますます高齢化社会、人口減社会が進む日本で、いったいどうやって生きて行ったらよいのか。
やはり、自分の力で稼ぐ方法を持っておくかどうかは、死活問題ではないでしょうか。
これまで何度か聞いたことがありますが、インタネットビジネスを学ぶところもたくさんあります。
中でも、古くから続いていることろがここです。今回、14期という気を迎えて、いったん終了する予定のようです。
この老舗の塾については、最後のチャンスかもしれませんので、ちょっと覗いてみます。
友達が体験した自動車事故(対物事故処理する?対人事故処理する?)
これは友達が体験した自動車事故(車の事故)の話です。
今から10年も前の話です。
ある日の夕方、友達は渋滞気味の幹線道路を走行中に、考え事をしていて停車していた前の車にぶつかりました。
激突というわけではないのですが、軽くドン、という感じだったそうです。
いわゆる、カマを掘ったというやつですね。
こちら側の車体も、前の車の車体も、へこんだところがよくわからない程度のものです。
前の運転手が、ぶつかったときにガクンと衝撃を受けたそうですが、意識を失うなどはありませんでした。
そのとき前の運転手いわく「なかなか止まらないから、おかしいと思ったよ」と言ったそうです。
年配の男性だったようです。
さて、当時はドライブレコーダーはそれほど一般的ではなく、友達もドラレコは付けていなかったといいます。
それで、相手も怪我のない状態だったので、警察を呼んで対物事故として処理したそうです。
念のため後日、友達は菓子折りを持ってその男性に挨拶に行ったところ、「大丈夫と思っていたけど、何だが肩のあたりが痛くなってきた」と言い出したそうです。
よく言われますが「対物事故で処理すると、後から体に痛みが出てきたりした場合、対処できない」「一応対人事故で処理するほうがよい」などという話があります。
まあ、明らかに大丈夫なのに「対人事故」にするのはどうかと思いますが。
そして友達は仕方なく、もう一度警察に言って「対人事故に切り替えられますか?」と聞いたところ、可能だということでした。
ただし、両名がもう一度現場に行って、対人事故用の現場検証をする必要がある、ということ。
これを相手方に伝えたところ「そこまでするのは大変だから、今のまま(対物事故のまま)でいいです」といったそうです。
大丈夫なんか!
じゃあ、最初から対人事故を持ち出すなよ!
こういった事故の場合には、やっぱりドライブレコーダーを付けていた方が良いですね。
こちらが不利にならないための映像証拠にもなるので。
前後2つのドライブレコーダーがよいようです。
一人暮らしの危険。三畳部屋の恐ろしい出来事(心霊ではありません)
三畳部屋アパートに住んでいるときの、恐ろしい出来事を書きます(心霊ではありません)。
今はなきこの木造ボロアパートの奥に、50がらみのおじさんが住んでいました。
もちろん、私と同じ一人暮らしです。
このおじさん、たまに玄関や階段で鉢合わせたりするのですが、町工場で働いているかのような労働者風の身なりで、足が悪いのか、いつも足を引きずってゆっくり歩いていました。
アパートの狭い玄関で入る順番を待っているときなど、テキパキ動けないことを誤って「すみませんね、すみませんね」といつも言っていました。別にそのくらい迷惑でもなんでもないのですが、おじさん本人はとても気にしていたようです。
ある日、アパートの玄関に、部屋で使っていたかのような家具が並んでいました。
まるで部屋から出してトラックに積む前、という感じです。
てっきり誰か引っ越すのかと思いましたが、もしそうなら、私・恭介以外にはおじさんと、もう一人若い男だけだったので、そのどちらかになります。
しかし、それは引越しではなかったのです。
当時三畳の部屋には当然ながら風呂などないので、近所の銭湯に通っていました。
風呂屋には番台におじさんかおばさんがいて、牛乳を飲む客と話している、などという、とても昭和な風景が残っていたのです。
私も番台のおじさんに顔を知られていて、だいたどこに住んでいるかも覚えられていました。
さて、玄関に家具が並んでいた日の夕方に銭湯に行くと、おじさんが私に「おたくのとこのアパートの人、これだってね」と、手で「切腹するアクション」をしました。
え・・・?
これ?(切腹するアクション)
おじさん「うん、なんか足が悪かったんだよね。お酒もかなり飲んでたみたい。理由はわからないけど自殺したらしいよ」
え・・・!
そうか、玄関の家具は、奥に住むおじさんが亡くなって、親族か誰かが部屋の片付けをしていたのか!
なにやらぞっと寒気がして、アパートに帰ることが怖くなりました。
アパートに帰ると、奥のおじさんの部屋は戸が閉まっていて、人がいるのかいないのかわかりません。
薄暗い廊下の奥のその部屋を通らなければ共同トイレに行けないので、私はしばらくの間近所の公園で用を足していました。
だって、怖かったんです。
体が悪かったのか意識が衰えたのかわかりませんが、そのおじさんにとって何か耐えられないことがあったのかもしれません。
昨今では、若年性認知症も取りざたされているので、その関係だった可能性もゼロではありません。
そういえば、昨日見たテレビでは、脳の中の物質が加齢とともに失われるので、それを補給することが大切と言っていました。
認知症などで気力が失われると、ゴミ屋敷になったりうつ状態になったり、時には自殺したりというケースもあるようです。
特に一人暮らしは、孤独死に追い込まれる危険があります。
自分が諦めたら、全てが終わってしまいますよね。
こういうことは今ではよく紹介されていますが、三畳の当時はあまり聞いたことがありませんでした。
瞬間湯沸かし器シャワーから、ヘアカラーシャンプーへの進化!
3畳の時代から4年後に、ちょっとだけ進化して、風呂無しの6畳へ引っ越しました。
それはそれは、3畳の頃とは比べ物にならない住まいでした。
はい、いい意味で。
6畳に押入れがやっぱり一間、天袋つき!
台所が約2畳程度。
トイレもついています。
流しの上には瞬間湯沸かし器が!(笑:3畳にはありませんでした)
それまでとは格段に部屋が広くなって、設備も充実し、まさに天国のようでした(笑)。唯一つ、風呂無しと言うことを除いては。
しかし、当時家賃が4万2千円程度。
1週間バイトすれば払える家賃ですよね。
風呂はと言うと、3畳の時代から好きだった銭湯へGO!
徒歩3分のところに銭湯があり、場所柄、お笑いタレントを目指す卵たちがよく入りに来てました。
ところが、ご存知かもしれませんが銭湯は深夜1時ごろには終わってしまいます。
終電近くで帰ったら、ギリギリ間に合わないですよね。
その部屋に住み始めてから、仕事が遅くなってきたので、風呂へ入れない日が続きました。
仕事場にシャワーがあったので、は入れるときはそこに入って帰るのですが、やっぱり自宅で浴びたいですよね。夏なんか汗まみれで、シャワーが浴びれないと非常につらいです。
さてそこで考えたのが、
台所シャワー!
何しろ、瞬間湯沸かし器があるんですから無敵です!
といっても、流しに上がって下半身を洗ったり、頭を洗ったりと、局部的に洗うだけですが。何も浴びないよりましです。
今でもそのころのことを思い出し、懐かしんでいます。
あれから数年、今では風呂付の部屋に住んでいます。
髪を洗うときに変わったのは、瞬間湯沸かし器でなくなったことと(笑)、今では白髪染めを使っていることです。
はい、すっかり白髪が増えてきて、オッサンになったんです。
最初は床屋に行って染めてみたりしたんですが、強い染料のせいか、たまに頭がヒリヒリするのと、金がかかりすぎるので、自宅で出来る方法を探しました。
無添加のものだと、今使っている利尻昆布のヘアカラーシャンプーやリンス、あるいはマロンマインドカラーなどがよいでしょうか。
利尻ヘアカラーシャンプーは、風呂場にいるときに使ってすぐに流せるので、めんどくさがり屋の私でも大丈夫。通常のシャンプーよりは値が張りますが、髪染めをかねているので仕方ないですね。
それと、使っていると髪がしなやかになってきます。
数年前では想像できない優雅な風景ですが(笑)、いまだに当時の思いがあるからこそ、多少の節約生活には耐えられます。
今だから言える、貧乏話その1
今だから言える、貧乏話です。
突然ですが、私は恭介、35歳です。
今だから言えるシリーズ第一弾、若い頃貧乏だったことを書きたいと思います。
(あ、今が裕福と言う意味ではないです!)
自己紹介すると、私は某映像関係の会社に勤めていて、今は半分管理職、でも撮影などにも出て行く何でも屋です。
映像関係って言うとどういうイメージを持つかわかりませんが、24時間年中無休、計画的な休みはゼロ、って感じです。
忙しいときは事務所に泊り込むこともあるし、午前様になって帰っても、翌朝6時に出て行くとか、ざらです。
いつまで体力的にこの状態が持つのかわかりませんが、日々必死に生きている状態です。
彼女はいますが、いつ会えるかわからないので、急に夜の8時に呼び出したり、休みの日の朝に呼び出したりと、無計画な日々を過ごしています。
こんな私とわかれずに、よく付き合ってくれているものだと思います。
さて、話を本題に戻します。
若い頃、25歳ぐらいの頃は、私は
三畳一間のアパートに約7年間!住んでいました。築40年ぐらいの、地震が来たらペッタンコに倒れそうな超古い木造アパートです。
あ、↑この写真は本文とは関係ありません。念のため。
三畳ってわかりますか?
そう、畳が三枚並んだ広さです。
今ではもうあまり見ないかもしれません。
当時家賃がいくらだったと思いますか?
なんと、15,000円です。
15,000円といえば、バイトを2日か3日すれば、稼げますよね?
つまり、どんなに怠けても、月に3日バイトすれば、ねぐらは確保できたと言うわけです。
そして三畳とはどんな生活なのか。
当時のアパートはおそらく築30年以上ぐらいで、部屋は三畳なのに押入れは一間ありました。
不釣合いな収納の大きさですよね(笑)。
その押入れに全て詰め込んで、三畳の空間はフルに使えていたのです。
ある意味、ゆとりでしょうか(笑)。
まず第一に、掃除がラクです(笑)。
当時小さなほうきを使っていましたが、3分ほどで部屋全部を掃くことができます。
ゴミはちりとりに入れて終わり。
その部屋では、ちゃんと自炊もしてましたよ。
スーパーで買ってきたものを切っていためたり、鍋にしたりして、栄養にも気を使っていましたが、一食300円と決めていました。
1食あたり300円以上になる材料は買わないのです。
エアコンなど無く、夏は扇風機、冬は小型の電気ストーブです。
それで、1ヶ月の生活費は、家賃を入れて5万円程度でした。。。
あ、ちなみにタバコや安酒も呑んでましたよ。
予算内で(笑)。
詳しい生活の風景はまた今度!
続く・・・